かつて玄昌石の産地だった登米市
かつて玄昌石の産地だった
登米市
宮城県登米市で産出されていた玄昌石は、明治時代後期にスレート瓦として全盛を極めました。しかし、明治、大正、昭和と変化の スピードは加速し、スレート瓦も便利なものに駆逐され、かつては東京駅も彩った瓦たちは置いてけぼり。令和の今では、スレート瓦 を葺ける職人も少なく、いつか再び陽の目をみようと出番を待っていた瓦たちは、多くの⺠家の軒下で虫たちの巣となっていました。
瓦がプレートやコースターに生まれ変わる
瓦がプレートやコースターに
生まれ変わる
人々の生活に沿って変化してきた品は、様々な知恵や技術、人の気持ちや生活の交わりの集大成であり、地域を作ってきた立派な一 員。そんな玄昌石に、歴史の語り手としてもう一度世に出ていただこうと思ったのが、スレート商品が生まれるきっかけです。就労支援事業所かなみのもりでは、障害のある方々が、瓦を一枚一枚丁寧に紙やすりで磨いて、プレートやコースターなどの商品に仕上げて います。
大地の恵みとひとの営みの交わりを
かなみのもりで形に
大地の恵みと
ひとの営みの交わりを
かなみのもりで形に
シンプルだから使いやすい
シンプルだから使いやすい
三つ星レストランや一流ホテルでもスレートのプレートは重宝されています。「交」の玄昌石は、もともとは家を守っていた瓦なので、水捌けがよく保湿性に優れています。昔から続く人の手を感じていただくために、工業的な装飾も施しておらず、取扱いは簡単。 しかし、天然素材だけにプラスチックのような耐久性はなく衝撃には弱いです。同封のお手入れの仕方を参考に、使用後はケアをして可愛がっていただければ幸いです。
これからも交わりの中に
今まで多くの方が積み重ねてきた交わりに、現代の私たちが手を加えて、新しい形になりました。ひとつとして同じ商品はありません。その品だけが持つ天然石特有のシワや形、手仕事のしるしである釘の跡や色合いを、気持ちよく味わってください。そして末⻑く愛でていただけたら。それはまた次の世代へ、何かを伝えてくれるのではないかと思っています。